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【整理?】现实中的一些酒茨传说

舰队停航的初代联盟冠军兼职拯救人理的大master五哈:

其余的阴阳师相关整理:


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又臭又长,无聊考究,慎入




基本以日文维基收录的和一些谷狗出来的为主,有时间打算从11区买点书回来看看。


 


以茨木小天使为主,因为我偏心(不)…其实是因为酒吞童子作为当时很有名的存在传说的版本远比茨木多,可以说是众说纷坛,所以以他为主工作量太大了。


 




■关于身世




关于酒茨各自的身世都有很多版本,在其中一些版本中,两人的身世甚至非常接近让人很容易搞混。




1.鬼之子




在翻看酒吞童子的资料中,发现在百度百科上讲述茨木童子身世中有这一段:


按照传说记载,其双亲乃是摄津茨木人,由于母亲怀胎超过十六个月,故茨木童子一生下来便被称「鬼子」,并遭到所有人的厌恶


 


事实上,这段在酒吞童子的部分传说中也有提及:


 


越後国の酒呑童子出生伝説[編集]


伝教法師弘法大師が活躍した平安初期(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった(国上山麓には彼が通ったと伝えられる「稚児道」が残る)。


12、3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを遂げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出たにまかれ、鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。


一説では越後国鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内16ヶ月を過ごしており、産まれながらにしてが生え揃い、すぐに歩くことができて5 - 6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。前太平記』によればその後、6歳にして母親に捨てられ、各地を流浪して鬼への道を歩んでいったという[3][4]。また、鬼っ子と蔑まれたために寺に預けられたが、その寺の住職が外法の使い手であり、童子は外法を習ったために鬼と化し、悪の限りを尽くしたとの伝承もある[4]


和納村(現・新潟県新潟市)では、村付近の小川に棲む「とち」という魚を妊婦が食べると、その子供は男なら大泥棒、女なら淫婦になるといわれ、その魚を食べたある女の胎内に16ヶ月宿った末に生まれた子供が酒呑童子だといい、この地には後に童子屋敷、童子田などの地名が残されている[5]


 


 


茨木童子的传说则是:


 茨木市の伝承では、茨木童子は水尾村(現・茨木市)の生まれだが、16ヶ月の難産の末に生まれたときにはすでに歯が生え揃い、生まれてすぐに歩き出して、母の顔を見て鋭い目つきで笑ったため母はショックで亡くなった。父は鬼のような赤子を持て余し、隣の茨木村の九頭神(くずがみ)の森近くにある髪結床屋の前に捨て、以後茨木童子は子のいなかった床屋夫妻の子として育った。幼くして体格も力も大人を凌いだ童子を床屋も持て余したが、床屋の仕事を教えて落ち着かせることにした。ところがある日、童子はかみそりで客の顔を傷つけてしまい、あわてて指で血をぬぐったものの、指をきれいにしようと血をなめるとその味が癖になってしまい、以後わざと客の顔を傷つけては血をすするようになった。床屋に怒られた童子は気落ちして近くの小川の橋にもたれてうつむいていると、水面に写る自分の顔がすっかり鬼になってしまっているのに気づき、床屋には帰らずに北の丹波の山に逃げ、やがて酒呑童子と出会い家来となったという。その橋は「茨木童子貌見橋(すがたみばし)」と呼ばれていたが現存せず、跡地に碑が立っている。


 


其中,并没有提到茨木童子被称为鬼之子,在这个版本的传说中酒茨二人都是母亲怀胎16月生下的,其中酒吞童子被众人称为『鬼之子』而惧怕着,而茨木则是父亲觉得他像鬼子而将其遗弃。


 


据此判断百度百科上这一句极有可能是搞混了酒吞和茨木的部分传说。








2.酒吞童子与茨木童子的关系


 


中文版的百科大多都不完整,尤其是关于酒茨相遇的部分,而在详细看茨木小天使的传说后发现酒茨两人的关系…相当不可描述。


 


事实上,茨木的身世传说都有酒吞传说的影子,就如同从酒吞的传说中衍生出的一样。


 


①越後説


茨木童子は酒呑童子と同じく越後出身との説がある。酒呑童子は蒲原郡の砂子塚(現・新潟県燕市砂子塚)生まれで国上寺の稚児だったが、茨木童子は古志郡の山奥の軽井沢(現・新潟県長岡市軽井沢)の生まれでやはり弥彦神社に預けられていた。同地には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠がある。またこの地区は「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがあるという。


美男子で知られ娘たちから山ほど恋文を送られていた外道丸こと酒呑童子同様、茨木童子も美少年として多くの女性に言い寄られ、将来を案じた母親に弥彦神社に送られることになった。ところがある時弥彦神社から実家に帰ると、母が行李の中に隠した「血塗の恋文」を見つけた。その血を指で一舐めするとたちどころに彼は形相が変わり鬼となり、梁をつたい破風を壊して逃げていった。そのころ外道丸こと酒呑童子は、恋文の返事が来ないと悲観して死んだ娘のことを聞き、読まなかった恋文の入ったつづらを開けてみると異様な煙が立ち昇って気を失い、気づくと鬼へと変わり果てて寺から逃げて悪の限りを尽くすようになっていた。


酒呑童子と意気投合した茨木童子は舎弟となり共に周囲の村々を襲っていたが、そのうわさを聞いた母が、彼の幼い頃の産着を着けて茨木童子の前に立つと、茨木童子は急に子供の頃の想い出が甦ったか、「二度とこの地を踏まぬ」と約束して、酒呑童子とともに信州戸隠などを経て京へと向かった。




越后说中,茨木与酒吞同为越后出生,两人都是美男子,受到无数少女的仰慕,在被担心将来的母亲送至寺庙后又都因为收到了饱含少女怨念的血书而被诅咒化鬼。


 


在这段传说的末尾,境遇类似的酒茨二人意气相投结伴而行,肆意妄为的到处破坏周围的村庄,然而这时,茨木的母亲穿着他小时候的衣服来见他,茨木童子回想起了过去的记忆,与她约定『绝不会再来这里』后与酒吞童子一同离去。(划线处)




看来茨木还怀有一些人类的情感,而酒吞竟然因为茨木单方面做出的约定就愿意离开,恩...




②摂津説


酒呑童子の出生地にはほかにも伊吹山麓など有力な説があるが、茨木童子の出生地についても兵庫県尼崎市や大阪府茨木市の説もあり、『摂津名所図会』・『摂陽研説』・『摂陽群談』などの資料ではこれらを採っている。1701年刊行の『摂陽群談』では、 摂津国の富松の里(現・兵庫県尼崎市)で生まれ、茨木の里(茨木市)に産着のまま捨てられていたところを酒呑童子に拾われ茨木の名をつけて養われたとある。


また『摂陽研説』では、茨木童子は川邊郡留松村(富松と同じく尼崎市の一部)の土民の子であったが、生まれながらに牙が生え、髪が長く、眼光があって成人以上に力があったので、一族はこの子を怖れて島下郡茨木村の辺りに捨て、酒呑童子に拾われたという。


茨木市の伝承では、茨木童子は水尾村(現・茨木市)の生まれだが、16ヶ月の難産の末に生まれたときにはすでに歯が生え揃い、生まれてすぐに歩き出して、母の顔を見て鋭い目つきで笑ったため母はショックで亡くなった。父は鬼のような赤子を持て余し、隣の茨木村の九頭神(くずがみ)の森近くにある髪結床屋の前に捨て、以後茨木童子は子のいなかった床屋夫妻の子として育った。幼くして体格も力も大人を凌いだ童子を床屋も持て余したが、床屋の仕事を教えて落ち着かせることにした。ところがある日、童子はかみそりで客の顔を傷つけてしまい、あわてて指で血をぬぐったものの、指をきれいにしようと血をなめるとその味が癖になってしまい、以後わざと客の顔を傷つけては血をすするようになった。床屋に怒られた童子は気落ちして近くの小川の橋にもたれてうつむいていると、水面に写る自分の顔がすっかり鬼になってしまっているのに気づき、床屋には帰らずに北の丹波の山に逃げ、やがて酒呑童子と出会い家来となったという。その橋は「茨木童子貌見橋(すがたみばし)」と呼ばれていたが現存せず、跡地に碑が立っている。




摄津说的版本比较多,其中最长的第三段是百度百科收录的被理发店夫妇收养的版本,不过百科上没有提到最后一段,也就是茨木童子逃亡丹波山后不久与酒吞童子相遇(虽然只有一句话但是人家很关键啊!)。




...然而关键是百度百科没收录的前两种版本比较让我YOOOOOOOOOOOOO,这两种版本里茨木的身世无外乎是被遗弃,重点是划线加黑的两句,被酒吞童子捡到并且赐予他茨木之名养大!!!!


所以酒吞这个麻烦原来是你自己捡来的吗(不),而且赐名还从小带在身边......感觉可以脑补很多不可描述的情节。




这里就不得不提酒茨两人的关系了,两人的维基下不约而同的收录了这一句:


酒呑童子とともに京都を荒らした大鬼、茨木童子だが、実は彼らの関係も様々な諸説がある。その諸説の中に、実は茨木童子は“男の鬼ではなく、女の鬼だった”という説があり、または酒呑童子の息子、はては彼の恋人だったという説も伝わっている。そして、しばらくしてから酒呑童子と茨木童子は互いの存在を知り、共に都を目指すようになったといわれている。




關於酒吞童子和茨木童子——和他一起在京都掀風作浪的鬼——究竟為何種關係,事實上是眾說紛紜。有人認為茨木童子“其實不是男鬼,而是一名女鬼”,有人說他“其實是酒吞童子的兒子”、甚或是“他的戀人”。根據傳說,酒吞童子和茨木童子在不久後知道了對方的存在,並且決定一同前往都城。




...哇噢,好不可描述的关系,结合上面茨木是由酒吞赐名并且抚养的传说来看,留下父子的传言尚且可以理解,『恋人』是怎么流传下来的,从小养大然后不可描述...?


至于茨木小天使在传说中也被认为其实是女鬼,只能说果然是潜力无限,厉害了我的茨木小天使!!




顺便一提两鬼的传说中我完全没找到什么爱情故事和烂桃花,唯一有提到的就是『茨木童子有可能是酒吞童子的恋人』......恩,所以历史告诉我们这对才是正配(








3.酒吞是渣攻?茨木为其断臂?




其实讲完上面那段不可描述的不得不提一个很虐的事件,就是大江山的鬼治退。




这里为酒吞先正个名,搜了很多酒吞相关的传说都没有提到茨木童子为其筹集资金建造宫殿一事,唯一见到的说法就是从富豪家中掠夺而来钱财。




大江山的鬼治退发生在这之后,源赖光的手下治退以酒吞童子为首的众鬼,结局是酒吞童子的首级被砍下带回,手下众鬼除茨木童子外全被杀死。




除茨木童子外。




搜了很多版本的传说,有说是临阵脱逃,有说是勉强逃脱,可以确认的是茨木确实活下来了,也是唯一活下来的。




这真的很耐人寻味了......如果把各个版本的传说摘取精华,就是:




『茨木被酒吞捡到并且赐名』—『成为酒吞童子的副首领』—『酒吞童子和手下被杀后茨木幸存』—『后世传说两鬼可能是父子甚至是恋人』




...exo me????酒吞渣????我都能脑补出一出酒吞为茨木而牺牲的大戏了好吗!!!!只有茨木活下来真是太令人遐想了!!!!




咳咳,先停下脑补,接下来是最近很流传的关于茨木化为美女为酒吞筹集资金然后被砍断手臂的故事。




我并没有找到茨木为酒吞筹集资金一说,而且重点是......




①羅生門[編集]


渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とすのは羅生門という筋のものもある。


大江山の鬼退治が終わってしばらくした頃、源頼光以下四天王たちが集った酒宴の席で、近頃羅生門に鬼が出るという話になった。



  1. ならばと全員で度胸試しに出かけると、綱の番になって門に入ると鬼に出会ってしまい、格闘の末、鬼の腕を切り落とした。


  2. まさか鬼の生き残りがいるわけがないと思った綱が羅生門に行ってみると、そこには茨木童子(または美女にばけた茨木童子)がいて、やはり格闘の末、鬼の腕を切り落とした。



その後、同様に茨木童子は姿を変え、腕を取り戻しに現れる。


茨木童子のその後[ 編集


腕を取り戻した後の茨木童子の行方は定かではない。摂津の民話では、しばしば実家に帰った話や、実家に帰ったが追い返された話などがある。













我在网上搜了很多,发现茨木断臂是在大江山鬼治退之后,也就是说,酒吞童子死后的事情。




第一段的文字版划线部分是很多百科收录过的,渡边与众人打赌看谁能遇鬼,接下来就是众所周知的遇到了变成妹子的茨木然后砍断了他的手臂。


...但是注意加黑的那一句,大江山的鬼治退结束后不久。




无论哪个版本,都可以确定的是,时间是在酒吞死后。




所以酒吞他并没有让茨木为他断臂还对他不领情!!




茨木断臂的故事属于酒吞童子的传说结束后的后话,提到了茨木的结局,茨木在取回手臂后恢复了双臂的姿态,然后行踪不明,据说是回到了老家。








4.酒吞吐便当




之前稍微搜了下大江山的鬼治退传说,发现不止一次的描述了鬼被砍头不死然后继续围攻前来剿灭的众人的场景,而之后首级被地藏说是不洁之物无法带进京城而被就地掩埋。




所以酒吞吐便当的可能性还是很大的(,并不用想得太虐。








5.总结




可见现实中的传说和阴阳师的故事剧情还是有较大出入的,但是传说本来就版本众多,而且好像听谁说过阴阳师有自己的原著?总之以后还能查到别的资料的话再来补充好了。

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  1. 骨殳咕咕咕咕咕 转载了此文字